11/28/17:44
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04/06/16:16
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このまま行くと広島編完結の時期がHUNTERxHUNTERのそれの時期より遅くなるんじゃないか、と巷で評判となっております。
春休みももう終わりですな。 宿題がまだ終わってない方は大勢いるかと思いますが、手を付けてもいない俺よりなお終わっていない方はそういないかと思います。じゃあどうしてこうなったのか。春休みをダイジェストでどうぞ。 あ、今カレンダーでググったんですけど、関連ワードに2011年カレンダーってのがありました。先頭に。ちなみに2012年カレンダーは入ってなかったです。 3/24(土) 翌日からの長旅に備えるのも兼ねて大阪へメガネのカスタムへ行くついでに某駿台の入塾テストを受け、付近のダイコクドラッグでほんわか梅酒梅(ステマちゃいます)をしこたま購入。見た時に右手が商品を掴んでたな、うん。 3/25(日) 東京へ。道中、中京競馬場で高松宮記念を観戦。東京の宿着は23時30分頃。 3/26(月) 東京で大学回り。二郎。 3/27(火) 東京観光からの横浜国大を少し見に行く。深夜、八王子発。 3/28(水) 早朝長野着、諏訪湖を見てから21時30分頃帰宅。 3/29(木) 昼頃起床。晩に奈良で宴会。 3/30(金) 午前は卓球。この頃からラムダチャットにのめりこみ始める。 3/31(土) 大阪へ荷物を届けに行く。 4/1(日) 無事5年生に。楽器屋へピック買いに行った。 4/2(月) 午前は卓球、午後はラムダチャット 4/3(火) 徹夜から始発で駐輪場確保へ。接客の悪さに唖然とした。 4/4(水) 自転車を買いに行くも良いものが見つからず。 4/5(木) 午前中は自転車購入。卓球に残り30分くらいで入って先生と座談会。 午後は身体測定。痩せてた。 4/6(金) そろそろ宿題をせなばならん気もするが現実逃避へ。 えー、文中2か所ほどラムダチャットというのが入ってましたけど、これは一体どういうものかと言いますと、サイトに接続すると画面の向こうの見知らぬ人と1対1でチャットができる、という物です。もともと話好きですから、まあドップリとのめりこんだ訳ですよ。そしたらみるみる内に時間がなくなるなくなる。それとFC2掲示板、これもいけない。 つーか全面的に俺が悪いんじゃないかと思えてしょうがない。で、折悪しく青春18きっぷが1枚余ってるんですよこれがまた。ただの紙切れにするのももったいないやないですか。∴~、使わなあかんやろう、です。学校が月曜日からですから、土日のどちらかにでも片付けねばならない。これは危ない。キチガイに刃物ぐらい危ない。つーか詰んでる。俺はもう、詰んでいる。だからと言って宿題バックレたら、せっかく試験が20点だった生物とかをしのいでしのいで進級したのに、それと授業が座談会と化していた工芸、実技系の何が怖いかって努力しても才能的にどうにもならないことがままあるのが怖いんですけど、この努力が水泡と帰すかもしれない訳です。じゃあやるしかない。いつやるか。それはきっともっと先のこと。まあスポーツ新聞でも買ってきて桜花賞の予想でもしようかな、広島編終わらせよう。 PR |
03/02/01:06
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今残ってるストックが金沢、伊勢神宮、学園祭、金沢、静岡、スキー。この学校にいる間に書き上がったら良いなあ(何
夜の宮島。灯りなどない。暗い。 神社への道など分かる訳もなく、駅員に聞くと「出て右」とのこと。 街灯すら点いていない、そこらへんを鹿がうろつく島。奈良かここは。 神社の前まで行くと、本殿には入れない模様。干潮だったので下へ降りて鳥居をくぐったり写真を撮ったりして過ごした。 宿に入る時間のこともあるので船着き場へ引き返す。 待合室には人がまばらに居た。 アストラムラインに乗らねばならない。船で宮島口まで戻り、横川まで引き返して可部線で大町まで出て乗ろうかと思っていたが、時間がかかるので広島まで戻った後広電で紙屋町まで出ることに。上りの山陽線は空いていた。 広島で降りるのはこの旅で初めてである。陸橋を右へ、改札を出て確か江波行きに乗る。八丁堀を出た辺りで雪がちらついていた。 ここでその日の分を終えても良いのだが、もう少し書く。 アストラムラインに乗って、牛田と言う駅で降りる。道が怪しいのでEZナビウォークを片手にユースホステルへ。キツいキツい坂を登りきった所が宿だった。フラフラ。何とかチェックインして、部屋に入る。6人部屋を3人で使う贅沢。風呂上がりに部屋で祝杯をあげた。お疲れ様でした。高台なので市内がよく見えたが、疲れがエラいことになっていたのでベッドに倒れ込んだ。 願わくば明日7時に起きられることを。 |
02/04/17:38
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広島に着いたのが14時17分。この時点で死にかけてた気がする。広島市の交通科学館に行こうと俺ではない誰かが言っていたので可部線(奈良で言うところの桜井線、車両まで同じ)というのに乗って大町まで、大体20分。そこからアストラムラインというポートライナーみたいな乗り物で長楽寺へ。歩いて5分。
家を出てから10時間、ようやく最初の目的地に到着。 中は弁天町にある交通科学館みたい。自転車のシミュレータを酸素とガチでやってた。結果は忘れた。 最上階から見たジオラマがとても面白かった。 あまり長く居過ぎても後に響くので、自分への土産に広電クリアファイルを購入して退散。アストラムラインで紙屋町へ。それにしてもこのアストラムラインが速い速い。スピード感満載。萬歳。終点に近くなり、地下にもぐった。急なカーブがあって転びそうになる。 紙屋町からは広電。Mr.Rが教えてくれたお好み焼き屋へ。出発時に酸素パパからお好み焼き代が支給されたので随分助かった。中電本社前で下車、Yahoo!ロコを頼りに店へ。 辿り着いたのはビルの1階にある小さなお好み焼き屋だった。引き戸を開けて入店、カウンターに並んで座る。どうせだからと一番高いのを頼もうとしたらうどん麺がなく出来ないと言われた。気を取り直してもう少し安いのにする。たいそう旨かった。ふんわりしていてなおかつ食べ応えもある。ついでにそばめしのテイクアウトも考えたが時間がかかるそうなので諦めた。 1945年、8月。原子爆弾、広島に投下。鬼畜米英、非道に走る。 こう書くとJRAっぽくなるが、広島に来たのなら見るべきものだろう原爆ドームは。スーパー(めっちゃ安かった)で翌日の朝食を買い、目の前の電車を捕まえ原爆ドームへ。 電停を降りてわかったことが一つある。右を向けば広島市民球場がある。過去の戦績が刻まれた石碑を見てから道路を渡ってドームへ。思ったより大きくなかった。広島平和記念資料館にも行きたかったが生憎時間が無いので諦める。 この日の締めは厳島神社。市内からは大分離れるが、18きっぷで行けるのでどうということはない。横川まで出たいところだが電車が来ないので出来れば避けたかった乗換えを試みる。江波行きに乗って十日市町で乗換え。交差点の対角線上の電停から出るようだ。信号は赤だが車が来ないことを良いことに渡りきった後もときに「ここは広島なのになんで大阪のルールで」と言われた。確かにその通りだ。横川からまた山陽線で宮島口へ。駅の改札を出るともみじまんじゅうの店があったのでお土産用に40個、その他諸々で+10個、宮島へのフェリーで食べるデカもみじを1つ買った。国道2号線の下を地下道でくぐって海側へ出て、JRのフェリー乗り場に。灯の消えたフェリーが桟橋に泊まっている。さながらホーンテッドマンションのよう。怖い。まさかアレに乗るのかな、と話していると向こうの方からフェリーが。どうもそれに乗るようだ。車が出てきて、次に人が降りてきた。その後に乗客が乗り込む。我々の他には地元民と思しき人が2~3人ばかり。屋外の席に陣取り、船が動き出すと同時にもときの入学祝にと奢ったノンアルコールカクテルとデカもみじで乾杯。乾杯したは良いが寒い。あまりに寒い。飲み干すと同時に屋内へ退散。その後程なくして宮島到着。 |
01/19/12:03
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うわー10ヶ月前だわこれw
さて尾道。 尾道ラーメンを食べたい。旨いらしい。店を調べて道を覚えて、駅を出て左に曲がって海沿いとも道沿いとも取れるようなところをノンビリと歩く。向こうに島が見える。 「因島だろうか」 「インドシナ?」 お話にならない。 駅から15分。店の名前は忘れたが、ラーメン屋に着いた。 店内に間寛平のサインが飾ってあった。まともな値段で食べさせてくれる。 濃厚で後味はスッキリ。めっちゃ旨かった。 今度は海沿いに歩いて歩いて駅を目指す。 潮風にふかれてゆっくりと。気分が良かった。 駅前に福屋があった。駅を越えてイオンで物資補給。 乾電池とガムを仕入れてまた西へ。12時49分の三原行き。 周りには山しかない。 14時過ぎ、ようやく広島に着いた。 |
01/09/02:53
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えー、あけましておめでとうございます。
今年もどうか宜しくお願いします。はい。 朝3時。終夜運転だったので西大寺を出た頃。吉野神宮へ参るべく、南へ。 途中で今回のお伴、赤●と合流。橿原神宮前で乗り換え、南東へ。 「あけましておめでとう。」 「しかしまあ、あれや。寒いねえ。」 「なんで俺はこんな時間にここに居るんだろう。」 「まあしばらく時間はあるから金沢に行った話でもするか。」 ~中略~ 吉野神宮着。辺りには何もない。そんなに人も居ない。神宮(ぉ 電車から降りた人は三々五々、散り散りになった。残るは我々とおじさんが2人。 「とりあえず行ってみよう。この道か。」 「寒い」 「交差点をまっすぐ」 「寒い」 そのまま道なりに心臓破りの坂を上ること5分。 目の前には、暗闇が広がっていた。歩いてきたはずの道は、先が見えない。 暗闇の中に溶け込んでしまっている。 「・・・どうする?」 「アイフル」 「?」 「死亡フラグが立った。引き返そう。」 駅まで来た道を戻る。駅に着いたら案内板の前に先ほどのおじさんが2人。 彼らが歩き出したところを走って追いつき、呼び止める。 「すんまへーん!」 「どちらまで行かはるんですか」 「吉野神宮まで。」 マンセー! 「一緒に行きません?」 「良いですよ。」 4人で話しながら歩く。 「どうして吉野神宮に?」 「何となく・・・フリー切符なので。」 「しかし道が暗いですねえ。」 その時、赤●の方から光が。見ると、奴の2代目のケータイが煌々とランプを光らせていた。 そんなものがあるなら先に言ってくれよ。 心臓破りのワインディングロードを越え、吉野神宮と思しきところの前に着いた。 今までとは比べ物にならない間隔でたいまつが灯っている。 光というものがこんなにも人を安心させるのか。 さて初詣といえばおみくじである。去年は大吉が出るまで方々で引き続けるというマゾな苦行を己に課し、四連続凶などの珍事の末に800円を犠牲にして平安神宮で大吉を手にしたのだ。 一発目。200円を放り込み、おみくじを開ける。 大吉。 キターキターキターキターマンセエええええええっっっ!! かくして昨年よりもはるかに経済的に大吉を手にし、勇躍金峯山寺へ。 どうもさっき来た道をそのまま進めば着くようだ。同じ道なので街頭の間隔はそう変わらないことが予想される。 ・・・だが・・・・・・しかし・・・・・・。 行くしかない。 明るいライトが夜道を照らす。 ガードレールに付いた反射板が物凄くありがたい。 まさか、獣は出るまいな。冬だし。 20分か、体感時間で言うとそれ以上になるかもしれない。 下千本駐車場、と書かれている。自動販売機と、公衆便所。 自販機でポカリスエットを買い、ダウンのポケットに放り込んでさらに歩く。 道路沿いには建物が並び、安心感がある。いいぞ観光旅館。 ちなみにこの時朝5:30ぐらい。 「次すれ違った人にあけましておめでとうと挨拶してくれ」 赤●が言う。 ロープウェーの発着所を過ぎ、年賀状を配達する郵便局のバイクとすれ違った。 「あけましておめでとうございます!」 年明けを実感した。 曲がりくねった道の奥に、山寺が見える。 右に迂回しながら蔵王堂へ。 荘厳な雰囲気、威厳溢れる建物。息を呑む。 さて今回の目的地、吉野脳天神社はその下にある。 上るのがイヤになるような階段を下り、休憩所で一休み。 甘酒を頂き、荷物を置いたまま参拝。受験生の 甘酒が美味い。もう一杯。 少し眠ってしまった。 日の出を見届けようと上まで引き返しおたが、既に辺りは薄明るくなっていた。 7時過ぎ、寺を出た。 坂を下り、楽をするべくロープウェイの乗り場へ。 丁度出たところらしく、わき道を下りに下る。吉野を7時40分に出る急行は空いていた。 記憶がない。起きたら橿原神宮前だった。 吉野から橿原神宮前までかっ飛ばした感覚に陥り、得した気分。 橿原神宮に参拝。右な人は居なかった。残念だ(ぉ 赤●を解放し、さてお次は石切神社。 八木まで戻って時間を調べる。急行で布施まで行くと良いようだ。 ところで皆さんにこんな経験はないだろうか。 暖かい電車の中でまどろむ。 この経験がある人の、おそらく大半はこんな経験もあるだろう。 寝過ごし。 駅のホームでいっそ身を投げようかという衝動に駆られ、ギリギリの理性で留まった俺のような人は少なくないはずだ。 起きて車窓を見渡す。俺の記憶だとこの景色は鶴橋を出て上本町への途中。 「ご乗車ありがとうございました。」 「大阪上本町、終点です。どなた様もお忘れ物のないようにお支度ください。」 やられたああああああーっ! 上本町駅地上ホームは、編成の一番前が乗り換えには便利だ。 そのときの車両は後ろから2両目。6両編成。 急ぐことを放棄し、ゆっくりと地下ホームへ降りた。 どうやら2分後に区間準急が来るようだ。 予定より遅れること15分、ようやく石切に着いた。 坂を下り、神社へ。狭い道は人でごった返している。これこそ初詣のあるべき姿。 賽銭を放り込むモーションをして手を合わせた。 新石切から生駒へ。乗り換えついでに宝山寺へ行こう。 ケーブルが目の前で行ってしまったので席に座って銭勘定。 どうも予算が足りない。特急に乗ると明らかに足りない。 選択肢が3つ。 一、特急を諦める 二、昼食を摂らない 三、京都市内でピタパをフル活用 結果、もっとも良心の痛まない一案を選択。 とはいえ金がない。 宝山寺でも石切と同じことをし、奈良へ。 勝手知ったる奈良市街、興福寺に参拝。 昼食はサークルKでカップラーメン。店の前で座って麺を啜っているととっても哀れな目で見られた。 文句あんのか。 奈良から京都へ。 急行でいくなれば、結構な確率で西大寺乗換えを強いられる。 一分でも長く寝ていたいのだが、京都で酸素を待たせているので急がねばならない。 快速急行に乗り、西大寺へ。昔みたいに京都行きの快速急行があればなあ。 西大寺で先頭車両に乗った。次の停車駅は京都市内のどこかだろう。 目が覚めると、新幹線のガードをくぐって右カーブするところだった。 寝ている間に来ていたメールを掘り起こすと、どうも酸素は待合室で待っているようだ。 京都到着、特急ホームの隣、待合室へ急ぐ。3DSを操る少年1人あり。あれが酸素。 京都の観光は市バスを制するものが制する。 chakuwikiでは緑の暴走族などと書かれており、経験則でも時刻表が全くアテにならないが本数は多い。 まずは清水寺。窓口で一日券を買い、急行系統に乗って五条坂下車。 どいつもこいつも何で車で来るんだろうか。 多少迂回することになるがちゃわん坂を登り、入場券を買って拝観。 金運お守りを買い、ゆっくりと下る。 吉野や脳天を越えてきた俺にとって、この程度の勾配など平地も同じ。 清水坂を下り、八坂神社へ。 毎年人が物凄く多い。参道の両端一杯に屋台が並び、身動きが取れないこともしばしば。道の真ん中が意外と王道だったりする。わあ面倒くせえ。酸素のおみくじは何キチだったかね。 本日のラスト、平安神宮。バスが来ない。接近表示さえもアテにならない。 ようやく来た満員のバスに乗り、10分ほどして降りる。辺りは歩行者天国になっていた。例によって道の脇には屋台。 小腹が減ってきたけど財布も腹を減らしている。俺はどうしようか? |
12/24/10:04
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前にある扉が開く。
右に出て階段を駆け降り、左へ。 階段を登りきったところに、乗るべき電車はなかった。 ホームの前方、80メートルの彼方に古ぼけた車両が停まっていた。駆け出す。 一番後ろの車両に飛び込んだ時、既に満員だった。 4両の車に旅人と地元民を満載にして、電車は姫路を出た。 周りの景色は15分も走ると田舎のそれになる。時折停まる小さな駅の前に、いくつか商店が見える。 赤穂線が別れる相生に着いた。 それなりの人が降り、何とか座席にありついた。 まだ立っているもときの荷物を預かる。 いくらか客を減らして、また動き出した。 2つ先の上郡に着いた。 智頭急行が乗り換え。 この駅を逃すと、人の降りそうな駅は岡山市内までない。 通路をはさんで隣の席が空き、もときも着席。 目下の懸念も無くなり、酸素とwinningpostに興じる。 「馬の名前何にする」 「ピー(俺の本名)」 なめてんのか。 「御乗車ありがとうございました」 「まもなく、岡山です」 「新幹線、山陽線、津山線、瀬戸大橋線はお乗り換えです」 朝早かったこともあり、少し疲れていた。次の電車は座れそうにないので休憩を挟む。 ここでようやくもときが電話の充電器を手に入れた。 一本後の電車に乗り、車両端のボックスを確保し、大富豪に興じる。 気づいたら尾道の前まで来ていた。広島、上陸。 |
12/23/10:05
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まだ日は昇らないが、朝である。
初の泊まりがけとなり、初心に帰ったのか得も言われぬ高揚感が押し寄せてきた。 まだ寒い中、家を出た。 空気が冷たく目が覚める。 程なくして駅に着いたとき、もときが居た。 すぐに酸素も来た。 いつもの駅の、いつもの改札を通る。 始発の電車にはまばらに人が居た。 菓子の配給があり、また広島で本場のお好み焼きを食べてこいとの酸素父からのお達しと共に、現地での食費も一定の目処が付いた。 快速だと30分で着く距離だが、我等が始発の各停では40分かかった。とにもかくにも最初の乗り換えである。 大阪までは立っていた。 大阪から座れないと死ねそうだ。 大阪に着き、扉が開き、階段を降りて登ってホームへ向かい、来た電車に飛び込んだ。乗車位置もここで良いはず。 姫路まで1時間半もある。大富豪に興じた。 伊達に叩かれて潰されまくっている訳でもなく、怒涛の7連勝を収めた。明石も近くなった辺りのこと。 乗るだけで進むのが電車の良いところで、あと少しで姫路に着くようだ。出口は左側のはず。車内に流れるアナウンス。 「山陽線相生岡山方面新見行きは」 「ホーム変わりまして2番乗り場」 「お出口は右側です」 はい? |
10/26/22:29
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原稿書いてから何ヶ月経っただろうか。5ヶ月くらい放置していたようだ。そろそろ行くか。
このIN広島を、かつてない程の 3月24日。即ち出発前日であり、前日の打ち合わせの為、もとき家に集まっていた。俺と酸素ともとき。今回はこの3人。まず行程表を見直す。 西へ行く時は半ばテンプレートのように大阪6時頃の快速から姫路7時半頃の山陽線に乗り換え、岡山には9時過ぎに着くと決まっていて、それが一番効率が良いのでそうすることにした。 問題は岡山から先。家を出るのは5時頃、4時間も電車に揺られていたら腰が痛くなったり肩がこったり大変だし、喉が乾いたり腹が減ったり、充電が切れたりすると物資の補給も必要である。これらの事を彼らに説明し、岡山で一休みする事になった。ここから先。
中略
延々とマニアックな話が続いたので中略。書いてもしょうがない。 とまあもときの充電器を調達したり買出しに行ったり(順不同)して徹夜。 スキー合宿で地獄を見たので寝ないことにしてブログなど書きつつ時間を潰した。 |
10/06/14:55
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10/04/23:10
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09/16/04:03
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08/23/02:56
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23日にもなって今月初更新です。
ざっと3時間前に16歳になりました。 堂々と19時までカラオケ行けるのが(ry 行ったこと無いけど(ry 学園祭の作業など進んでいるはずもなし。 俺の支持率≒菅直人の支持率位かもしらん。 ということで夏休みです。 オープンキャンパスに行ってまいりました。 まず最初は和歌山大。観光学部一択。 結局この模擬授業が一番面白かった。興味あることは違うね。 その次が京都大学。 多分俺がショッカーの改造手術でも受けない限りどうにもならん。 つーか何学部に行ったのか思い出せない。人間何とか(ry その後1人で宇治川花火見ながら泣いてた。 ついで大阪大学。 吹田の他にキャンパスあるのな。 ちなみに行くことが決まったのが前の日の夕方。 つまり、「そうだ、阪大、行こう。」となんら変わりはない。 コレは基礎工学部。理系も行っとくかー、と。 つくづく俺の興味は文系に偏ってる。 その後は夏が来たから須磨へ行ってた。 で、最後にまた阪大。法学部。 裁判官をやってみたいな、と思うことがままあるので行ってみた。 その後は宝塚。 まああれです。 オープンキャンパスはモチベーションが上がるので行って損はしまへん。 HAHAHA!! 本日の一曲:祭りの準備/ガガガSP |
07/30/21:55
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07/21/09:52
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07/18/12:15
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最終日である。
5時に起きてIN名古屋の原稿書いてた。 窓際に椅子と机を出し、コーヒーを飲みながらのんびりとのんびりと。 作業用BGMは夜汽車でやってきたアイツだったかな。 筆の進みがやたらと速かった。 6時。総員起床。 最後に麻雀して朝食。 帰り支度は前の夜に済ませてあるのだ。アカリュ万歳( 最後の実習。 「祝日で人も多いので注意してください。特に直滑降などしないように。」 死刑宣告。 この日は5本だけ。物凄く楽しかった。 その後、上の班による模範演技を見て昼飯をかっこみバスへ。 さあ帰ろう。 行きと同じルート。 ケータイの電源入れたらメールが14通来てた。 梓川SAでわさびそばまとめ買い。 欲しいものも買ったし配給もあったし。 しかし山しかない。山と町しかない。 見飽きたので桃鉄。 どうやら奈良では雪が降っていたようだ。 長野は晴れてた。長野毎日新聞で時間を潰す。 お悔やみ欄に1面使う新聞もなかろう。 帰りのバスは静寂に包まれていた。 途中のSAで止まったときに、人の動きがある他は皆疲れ果ててピクりとも動かん。 途中のSA(どこかは忘れたが岐阜県内)でみかん牛乳とパイン牛乳というけったいな物を2本買い、配給されたパンと飲み食い。 もう何も言うまい。 四日市を出た。辺りはもう真っ暗だ。 鈴鹿の山並みに、今日の日が消えていく。 バスで行くのも良いのだが、大人数で行くのも良い。そこは判った。 この合宿であまり成長したように思えない。 だがしかし、一言で言うならば楽しかった。 奈良に着くと、雪がうっすらと積もっていた。 三々五々、それぞれの家に帰っていく。 もう誰も、打ち上げする体力など残していなかった。 |
07/14/17:11
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もう折り返し。
実質的に実習最終日。 前日と変わらず麻雀朝食麻雀突撃。 他の初心者班も大分滑れるようになってた。 ところで、俺がスキーというと大抵は直滑降である。 ところが、今までは1度たりとも直滑降をしていなかった。 良いといえばいいのだが、そろそろ来た。 ここで指示が「下まで来い。」 みんなで直滑降。それはそれは爽快。 いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっっっっっやっほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおううウうううううううううううううううおぉぉぉぉぉお・・・・・・ その日の実習はそんな感じで乗り切った。 もうどこか吹っ切れたというかぶっ壊れた。 その勢いで麻雀に戻り、怒涛の連勝。もう止まらん。 晩飯をかっ食らい、お土産タイム。 我が班は順番的に真っ先に買えるので雷鳥の里を大規模買収。 ベビースターわさびそばがなかったこと以外は満足して引き上げ。 最後の夜。 何でその夜早く寝たのか一向にわからん。 |